川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『牧師が片方だけかばっていると感じるとき 』 牧師コーナー(803)

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 教会生活をしていると、神を信じる信徒同士でも誤解や葛藤が生まれることがあります。残念なことに、時には牧師がその間に巻き込まれることもあります。そしてその際に、牧師が一方に肩入れをしているように見えると、もう一方は心を痛めたり、失望したりするかもしれません。
 もちろん、牧師も人間ですので、受け入れやすい主張もあれば、逆に受け入れにくい主張があるのも事実です。しかし私は、牧師が個人的な好みによって一方の肩を持つというのは、あってはならないことだと思っています。それでも、そう感じられるのは、牧師が一方に対してより親しみや好感を持っているように見えることがあるからです。
 私の考えを申し上げると、私は自ら変わろうと努力する人を好みます。ある人は、性格的な欠点が多くて、イエス様を信じ努力してもすぐには変わることができないかもしれません。時には、信仰がない人よりも悪い言動をしてしまうことさえあります。
 しかし、私はそんな少し不器用な人々を愛しています。なぜなら、神がそういう人々を愛しておられるからです。神の目から見れば、私たち人間は皆、似たような罪人です。人格の細かな違いは、神にとってはそれほど大きな差には見えないのです。ですから神は、今の人格の完成度を見ておられるのではなく、今この瞬間にどれだけ努力しているかを見ておられるのです。
 私も、そんな神の視点にならって、「その人がどれだけ変わろうと努力しているか」という点を見るように努めています。ですので、もし私のことを「誰かをかばっている」と感じる方がいるとしたら、それは相手と和解し、受け入れようと努力している人の側に立っているからです。信徒同士の関係は、互いに受け入れ合い、互いを尊重し合うものでなければなりません。キリストの体である教会は、互いに赦し合い、理解し合い、励まし合い、癒される病院のような共同体であるべきだからです。ですから私は、対話や和解を拒む人を受け入れることはできません。たとえその人が教会で重要な奉仕の役割を担っていたとしても、「自分はあの人とは一緒に働けません」と言うなら、私はためらうことなく辞任を受け入れます。また、「あの人がいるから自分は教会を離れます」と言う人に対しても、無理に引き止めようとは思いません。そう言って去っていく人を、私が押しとどめることはないでしょう。

趙 南洙師



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